海洋散骨代行は11月まで

興福舎の海洋散骨代行は、海の天候不順が心配されることから、例年通り11月までとします。

なお、出航見送り希望の方には、これまで通り続ける予定です。見送り確認がしやすいように、セイルのぼりを用いていますので、安心です。

水泳大会の日が第2号

大船渡市の石〇〇子さんから、「お墓の継続が無理で海洋散骨にしました。お盆までにお願いします」と言われました。7月28日に興福舎に来舎いただき、粉骨加工をしました。

天気情報を見て、三陸海岸での海洋散骨代行は7月31日と協議して決定。

興福舎での海洋散骨代行は第2号で、三陸海岸では第2号。この日は海上水泳大会であって、出航は競技者と主催者側の救助対応の船の狭間をぬっての操船となりました。

海洋散骨証明書をデータを確認しながら作成完了。午前から作業し、レターパックの投函は午後6時になってしまいました。岩手県内のお客様ですから、届くのは明日です。合掌

粉骨加工は故人

14歳のラブラドールレトリバーと暮らしている夫婦二人が興福舎に相談に来ました。子供は巣立ち、二人の会話の潤滑油はオスの彼。

「亡くなった後、動物霊園、山に埋める、ゴミに出すなど出来ない。火葬してしっかり供養したい。年齢や家族構成からも二度とペットを飼うこともできない」と奥様。

興福舎では故人のみ。つまり人間のみとしております。依然としてペットは仏教界では畜生扱いされています。「あそこではペットの粉骨加工もしている。人も畜生も一緒にしている。あそこには粉骨加工は頼めない」を恐れています。風評被害のようなもの。

ペットの粉骨加工は興福舎ではお受けすることが出来ません。自分で泣きながらでも粉骨することが供養になるとも考えております。インターネット検索するとペットの粉骨加工を行っている会社などもあるようです。「お母さんができないなら、火葬後、僕が粉骨加工するよ」とご主人の声がありました。偏見時代が早く変わって欲しいです。

 

13のスタート

2010年7月7日が興福舎の開業日ですですので、今日は13年目になりました。小学校の教育課程を卒業し、中学校生活が始まったことになります。

手元供養、粉骨加工、海洋散骨と業種を拡大して興福舎を続けて参りました。これまで多くの人にお墓の危うさ、継続の難しさを伝えて、新しい供養の提案をNPO手元供養協会の活動を通して、継続可能な供養を広げています。

岩手県の三陸海岸での海洋散骨は、興福舎が最初の施行となったと自負しております。

一人でできることはなく、すべては他力本願。これからも支えて支えられて興福舎が続きます。これからもよろしくお願いします。店主伊藤邦男拝

 

11時間の証明書一式

今日の海洋散骨代行の数種の書類を作成し始めることになったのは、午前9時。

今回から、Googleフォトに現場で撮影した画像をiPhoneからデイスクトップPCに移していたのですが、興福舎がお客様届ける海洋散骨証明書と添付画像の取り込みが難儀でした。

GoogleフォトとiPhoneのリンクに助っ人、Googleフォトから書面に貼り付けの助っ人の二人にお手伝いいただきました。

文書の体制とデザインには、興福舎内で検討。途中、昼食と夕食をはさみました。使用する紙質も選ぶことになり、外出もありの終わったのは、午後8時。11時間の労働となりました。一人では何もできない舎長でした。明日レターパックで発送します。

海洋散骨代行がついに

2022年6月4日土曜日午前10時16分。岩手県の三陸海岸沖での初の海洋散骨代行をやり遂げました。

お客様のご希望で、出船見送りと祈りの場所に立っての携帯電話での通話による散骨時の合唱となりました。

水沢市の〇場〇子さん母娘は、予め手渡しされていた地図を見ながらでの現地到着です。携帯電話から、「現地到着しましたが、どこにいますか?」の話ですが、お互いすぐそばにいて、粉骨加工日以後の再会です。ここでまず一安心。

祈りの場所まで案内して、母娘と携帯電話で会話しながら散骨代行が終わりました。携帯電話と地図画像の文明の利器があって出来ました。文化機器向上と葬儀形態の変容に感謝です。合掌。 反省点と改正点の発見になりました。興福舎代表 伊藤

 

2往復と不可抗力

海洋散骨代行を希望している奥州市の〇場〇子さんが来舎。様々な質問を受けて、丁寧にお応えして、書類を確認しようとすると、「書類を忘れてしまった。また必ず戻ってきます」遺骨を興福舎に置き、費用を支払い、また奥州市に戻っていきました。

来舎の際の往路は釜石道を使って、約束の時間に興福舎のチャイムがなり、目を合わせて面談しましたので、彼女を信頼しましょうよとの同席の副舎長の口添えで再訪をまつことにしました。

釜石道は片側一車線。事故が発生すると、一般道に降りるのも大変。巻き込み事故に遭遇したら。どうにもならない不可抗力の遭遇が心配です。

興福舎のチャイムが鳴って、彼女の顔を見たときはホットしました。粉骨加工後の重量は、3,680gでこれまでの中でトップでした。水溶性の紙に署名して、粉骨の一部を持ち帰りました。6月に出港立会いと祈りの場所からの見通し確認を行います。

お墓に遠慮して

5月14日に母の遺骨の粉骨加工に興福舎に来られた花巻市の〇田島〇保さん。

二人の息子さんのいる男性の後妻になり、〇保さんを産み、三人を育て上げた86歳の女性でした。

先妻の入っているお墓に入りたくないととの遺言だったそうで、先妻の二人の兄とも相談して、粉骨加工することになりました。

家墓の時代ですが、先妻と後妻には差がありません。家族とは、墓とは一体何なのしょうか? 860gになって帰っていきました。

しっかりした遺骨

約束どおりに4月23日土曜日の午前10時51分に遠野駅に迎えに行く。

粉骨加工を依頼に来た〇田〇子さん、志〇さん親子は、4月13日に亡くなった〇子さんの娘さんの遺骨を持って駅のベンチに。

興福舎で面談、質問は少なかったのですが、粉骨加工を興福舎のホームページでしっかり調べていたようで、お墓を作らず供養する決意でした。遺骨はこれまでの遺骨の中でしっかりとした、形をした遺骨でした。昭和50年生まれの乳がんと戦った〇美さん、47歳。合掌

粉骨加工の作業中に時間がかかるので、カッパ淵の観光をすることになった。送迎の道は雨がちらつく天気でしたが、観光客がぞろぞろと歩いていました。桜が満開の遠野市の春です。「気持ちが落ち着きました」と言われた遠野駅です。

 

 

 

受託(代行)と信頼関係

4月24日出船。風速測定すると7m/sが一瞬発生。白波も立つ。北海道知床半島沖の観光船海難事故の報道を教訓に、これまでの考え方を改めました。

オーナーキャプテンと現地確認し、危険・不快・不安と判断して帰港。

興福舎は当面の間、受託(代行)の海洋散骨のみとし、出船時に依頼人と相談して、依頼人は祈りの陸地を決めていただき、その場に立ち、携帯電話での相互確認をして、興福舎の海洋散骨位置を定めて行うことで、相互の信頼関係を築く散骨スタイルとすることにするか検討中です。このお知らせブログに特段の反応が無い場合には、他社と同じ方法にします。

この日の海は一見すると、穏やかに見えましたが、船首が海面をたたき海水のしぶきが後ろのデッキに入り込みますので、不快な思いを乗船依頼者に与えるとも判断しました。乗船海洋は当面の間中止とします。必要となる特定免許保持者を二人体制になった矢先、残念です。